1819年(文政2年)
8月1日、父アラン、母マライアの第3子として、ニューヨーク、パール街6番地に生まれた。 上に兄と姉とがあり、のち2弟3妹が生まれた。父は貿易商。
父方のメルヴィル家はスコットランド系、母方のガンスヴォート家はオランダ系で、ともに名門。 双方の祖父は独立戦争でたたかって名をあげている。
1823年(文政6年)4歳
夏、母に伴われ、兄弟たちと共に、母の里で暮らした。この頃の彼は病身であった。
1824年(文政7年)5歳
はじめて学校に通う。あまり本は好きでない、と母が兄への手紙でいっている。
1826年(文政9年)7歳
猩紅熱にかかる。夏、母の里へ行く。
1827年(文政10年)8歳 夏、ボストンに住む父方の祖父母のところに行く。
1830年(天保元年)11歳 父の商運が傾く。ニューヨーク州オールバニに移住。メルヴィルはそこの中学に入る。作文に優れた才を示した。
1832年(天保3年)13歳
1月、父が失意のうちに死す。兄と共に学校を退き、伯父が関係していたニューヨーク州立銀行のオールバニ支店に勤める。 秋、伯父メルヴィル少佐死す。
1833年(天保4年)14歳
アメリカの作家、フェニモー・クーパーの小説を愛読した。
1835年(天保6年)16歳
オールバニに移り、兄の経営する毛皮商店に勤める。その頃、仕事の傍らオールバニの学校で古典語を学んだ。 ・バルザック「谷間の百合」「ゴリオ爺さん」
1837年(天保8年)18歳
経済恐慌の波を受けて兄の商店が破産する。メルヴィルはピッツフィールドの小学校に勤め、30人程の生徒を教える。 ・・イギリスのヴィクトリア女王即位。大塩平八郎の乱。
1838年(天保9年)19歳<
一家いよいよ貧しくなる。ランシングバーグに母や妹たちと移る。土地の学校で土木工学を修めた。 ・・汽船はじめて大西洋を渡る。
1839年(天保10年)20歳
エリー運河に勤めようとしたが失敗。初めて小品「机上断片」を土地の新聞に載せた。生活に行き詰まり、失意し、一方航海への憧れにかられ、6月、ニュー・ヨークに出、大西洋航路のセント・ロレンス号にボーイとして乗り、リヴァプールに行った。秋に帰国。後に書かれた『レッドバーン』という作品はリヴァプールへのこの「旅」がもとになった。帰ってしばらく学校で教えた。恐慌は続いていた。
・スタンダール「パルムの僧院」